THE LAB NOTE

実験ノート

試したこと、うまくいったこと、つまずいたこと。次の実験に使えるヒントを、ここに残しています。

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AIに使われる側になろう

最近、働き方の重心が少し変わった。 ai を使う というより、 AIに使われる方向へ寄せている 。 --- AIを使う側、だけでは足りない 最近、「AIを使う側になろう」という話をよく見る。これは正しい。 使わないよりは、使った方がいい。 ただ、ここで別の見方も検証してみたい。 > むしろ、積極的に AIに使われる側 へ寄っていった方がいいのではないか。 僕は最近、そういう方向の働き方を試している。 以前、AIサービスを考えるときは、 「今のAIで成立するか」よりも、「AIが強くなったときに自然と価値が増すか」を見た方がよい 、という趣旨の話を読んだ。OpenAI CEO サム・アルトマン氏の言葉である。これはかなり上手い観点だと思った。 今の能力で辛うじて成立しているものは、モデル性能が上がったときに必ずしも強くならない。 むしろ、土台ごと別のものに置き換えられる可能性すらある。 逆に、 AIが強くなるたびにそのまま恩恵を受けられる場所 にいれば、モデルの進化そのものが追い風になる。 これは、個人の働き方にも当てはまるかもしれない。 今の自分の仕事の仕方は、AIがさらに強くなったときに、そのまま伸びるのか。 この観点はかなり重要になる。 AIを便利な道具としてつまみ食いしているだけだと、本当にAIが強くなったとき、そのやり方自体が足を引っ張る可能性がある。 最近は、そういう見方をすることが増えた。 多くの人は、自分の能力やスキルに軸足を置き、その補助としてAIを使うだろう。 僕は少し逆を試している。 多少不格好でも、 AI側に重心を寄せておく 。 AIの進化が、そのまま自分の拡張になる状態を狙っている。 --- AIに使われる、とは何か この表現は、少し嫌な捉え方をされるかもしれない。 しかし、少し踏み込んでみたい。 AIにやってもらうのは、単なる文章生成や検索だけではない。 - 優先順位を決めてもらう - 次に何をやるか提案してもらう - 論点を広げてもらう - 計画に落としてもらう - 進捗を管理してもらう - 必要であれば評価までしてもらう つまり、 日々の意思決定や中間処理をかなりAI側に持たせる 、という話である。 人は意思決定で疲れる。 判断の回数が増えるほど、質も落ちる。これはかなり本質的だと思う。 だから、よく設計された仕組みに日々の判断を預ける、という発想自体は昔からある。 たとえば、 - 服装を固定する - 時間割を固定する - タイムボクシングで「この時間はこの仕事に専念する」と決める こうした工夫は、結局のところ、判断コストを減らす仕組みである。 だったら、その仕組みのかなり大きな部分をAIで作ってしまってもよい。 チューニングは人間がすればいい。けれど、日々の細かな判断は、なるべくAIに持ってもらった方が自然である。 最近の僕はそう考えている。 --- 仕事のサンドイッチ構造 今の僕の頭の中には、 仕事のサンドイッチ構造 のようなイメージがある。 一番上:人間の意志 何をやりたいのか。 どの方向に進みたいのか。 何を面白いと思うのか。 どう生きたいのか。 ここは人間が持つ。 一番下:人間の実行 権限の都合でAIに任せられない操作。 セキュリティの都合で人間が触るしかない部分。 外部サービスへの最終実行。 そういう末端は、今のところ人間がやる。 その間:AIの知的処理 - 調査する - 整理する - 事業計画に落とす - 実装方針を作る - Issueに分解する - 順序を決める - 進捗を見て、次にやるべきことを提案する つまり、 最上位の意志と、最下位の実行を人間が持ち、中間の知的処理をAIがかなり担う 、という形である。 言い換えれば、 中間管理のようなものをAIにやらせるイメージ である。 人間が最上位の意思決定者であり、同時に最下位の作業者でもある。 その間をAIが埋める。 今の僕は、そういう構図を漠然と思い浮かべている。 --- 実際にやっていること 思考の具体化のために、最近やっていることを書く。 1. 開発の上流から中流をAIに持たせる たとえば開発では、まず方向性だけをかなり大雑把に決める。 - 何を作りたいのか - どんな仮説を試したいのか 最初はそのくらいの抽象度から始める。 そこからAIにディープリサーチをしてもらい、その結果をもとに、事業計画や実装方針へ落としてもらう。もちろん、そのまま採用するわけではない。自分の考えていることと違うところや、気持ち悪いところは直す。 ただ、重要なのは、 中間の具体化と整理をかなりAIに任せている ことである。 その後、それを github のIssueやプロジェクト構造に落とし込み、そこから実装を進める。 個人開発や、製品として出す前の試作品では、かなりこのやり方をしている。 人間が全部を自分で設計し、自分で分解し、自分で管理するよりも、AIにその多くをやってもらった方が、少なくとも今の僕には都合が良い。 2. 自分自身の管理もAIに寄せる もう一つは、自分自身の管理である。 GitHubの情報や日々の活動をAIに見せながら、Notionとつないで、 - 週次計画 - 日次の活動履歴 - 週報の作成 のようなものを automation しようとしている。 具体的には、 - 今日何をやるべきか - 今週何が進んだのか - 何が止まっているのか - どこに時間を使っているのか そういったことをAIに可視化してもらい、提案してもらい、管理してもらう。 それを繋ぐための仕組みの構築(独自MCP)も、かなりAIに手伝ってもらっている。 これもまた、 AIに使われる側 の発想である。 3. 文章を書くプロセスも同じ さらに言えば、こういう投稿も同じである。 最初に「こういう話がしたい」と置くのは僕だ。 けれど、問いを返し、考えを掘り、論点を整理し、構造を作る中間工程はAIが担っている。 最後に投稿するのは僕だが、その手前の知的整理はかなりAIに依存している。 これもまた、サンドイッチ構造である。 --- 何が一番変わるのか この働き方をすると、何が一番変わるのか。 僕は、 並列性 だと思う。 中間工程を自分で全部抱えると、どうしてもどこかで詰まる。 - 調査で止まる - 設計で止まる - 整理で止まる - タスク分解で止まる こうした詰まりが、複数の仕事を並列で回すことを難しくする。 ところが、その詰まりの多くをAIに持たせると、全部が速くなるというより、 流れが止まりにくくなる 。 その結果、複数の流れを同時に動かしやすくなる。 感覚的には、重い集中をあまり必要としないものなら、三つか四つくらいは並列で進められる。 小さな会社の経営者が、複数の部署を見るような感じである。 自分一人でやっているのに、仕事の流れだけは少し組織化される。 もちろん、楽になるだけではない。 並列度が上がるので、それなりに疲れる。ただ、疲れ方は変わる。 先日の投稿にも書いたが、僕は最近、 voice-input を常用している。 立ったまま、体を動かしながら仕事をしている。 キーボードに張り付いて、上半身を固めたまま作業する感じではなくなってきた。 だから、心理的にはそれなりに目まぐるしいが、身体的には意外と消耗しない。 少なくとも、同じ作業を延々と続けるよりは飽きにくい。 --- 主体性について この話に対しては、「自分の頭で考えるべきだ」という反発が一番自然だと思う。 かなり真っ当な感覚である。 ただ、僕の中では、 人生のオーナーシップ と、 仕事の中の意思決定 は分けて考えている。 自分で持つべきもの - どこに住むか - 誰と過ごすか - 何を大事にするか - どんな暮らしをしたいのか そういう人生の上位目的は、自分で持つべきだと思う。 そこは多少非合理でも構わない。むしろ、合理性だけで決める方が不自然だろう。 委ねてもよいもの 一方で、生産性を求める仕事の内部では、日々の意思決定のかなりの部分を、よく設計されたAIに委ねた方が合理的な場面が増える気がしている。 だから、これは 主体性の放棄 ではない。 > どこを自分で持ち、どこを仕組みに渡すかの再設計 そう捉えた方が近い。 責任についても、当面は人間に残るだろう。制度がそうなっているからである。 だからこそ、最上位の意志と最下位の実行は人間が持つ。 ただ、責任が残るからといって、中間の知的処理まで全部人間が抱え込む必要はない。 そこは切り分けた方がよいと、僕は考えている。 --- なぜ不完全な今から寄せるのか もちろん、今のAIが完璧だから、こんなことを言っているわけではない。 むしろ逆である。 今のAIはまだ少し粗い。 人間がやった方が速い場面も多い。 わざわざAIに寄せることで、面倒が増えることもある。 それでも僕が重心をAI側に寄せているのは、 今の最適を取りにいくためではない 。 > AIが強くなったときに、その性能向上の恩恵を、そのまま受け取れる働き方にしておきたいからである。 今の時点で少し不格好でも、AIの成長曲線に自分の働き方を乗せておけば、モデルが賢くなること自体が、自分の仕事の増分になる。 逆に、AIを補助ツールとしてしか使わないままだと、AIが強くなったときに一部は楽になっても、自分の仕事の構造そのものはあまり変わらないかもしれない。 さらに、先にそういう働き方を試しておけば、どこがボトルネックなのかも見えやすい。 - どこはAIで埋まるのか - どこは権限の問題で残るのか - どこは意外と人間が持つべきなのか そういう変化の兆候を、少し早く察知できる。 正しいかどうかは分からない。 ただ、早く試しておく意味はあると思っている。 --- 最近の実験 別に、これが正解だと主張したいわけではない。 こんな工夫をしている間に、AIがもっと先へ進み、前提が全部変わる可能性だって普通にある。 しばらく僕は、この方向の働き方を続けてみるつもりである。 AIを便利な道具として少し使う のではなく、 AIが強くなるほど自分の働き方も伸びるような位置に、自分を置いてみる。 AIを使う側になる、ではなく、 積極的にAIに使われる側へ寄ってみる。 最近は、そんな実験をしている。

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AI時代の脳のデザイン

最近、AI時代の脳のデザインということをよく考えている。 ここで言う脳のデザインは、脳科学の話ではない。AIが前提になった社会で、人間は何を鍛え、何を委ね、どんな知性の使い方をするのか、という話である。 AIの話になると、多くは「今ある仕事にAIをどう足すか」という方向に流れる。けれど、たぶん本質はそこではない。馬車が自動車になった時、単に移動が速くなっただけではなく、道路や物流や都市の構造まで変わった。AIも同じで、知的労働に便利な道具が追加される、というより、知的労働そのものの前提が変わるのだと思う。 だから僕が気になっているのは、AIが何を代替するかより、そういう時代に人間の脳をどう設計し直すべきか、という方である。 人間の役割について AIが広がるほど、人間がAIに知的な助言を与える場面は減っていく気がしている。人間より賢い相手に、人間が“賢さ”で勝負しても、あまり意味がない。 それでも人間側に残る仕事はある。僕はそれを、かなり雑に言えば「人間の代弁」と呼んでいる。 倫理観、美意識、違和感、ニュアンス。五感を通した反応。身体の調子や、その場の空気や、なぜかわからないけれど気持ち悪い、という感覚。そういったものは、少なくとも今のところ、人間側が強く持っている基準点である。 別に、人間だけに主観があるとか、人間だけにクオリアがあるとか、そういうことを断言したいわけではない。そんなことは証明しようがない。けれど、少なくとも今の社会で最終的に調整対象になっているのは、人間がどう感じるかである。AIはそこにかなり上手く合わせてくるだろうし、むしろ人間より上手く最適化する場面も増えると思う。だが、何に合わせるのかという入力そのものは、まだ人間側が差し出すしかない。 だから、これからの人間の役割は、AIに勝つことではなく、人間にとって何が良いのかをうまく差し出すことになるのだと思う。 何を手放し、何を残すか この話をすると、すぐに「暗記はもういらない」「集中力はいらない」という方向に行きがちである。僕はそこには少し慎重である。 人間の能力は、食事に近い。何か一つを雑に抜けば良い、というものではない。知識は創造性を邪魔する時もあれば、支える時もある。論理的な思考も、記憶も、一定量は必要だろう。 だから、AIがやるから不要、という言い方はあまりしたくない。 僕が大事だと思うのは、自分の人生のオーナーシップをAIに渡し切らないことである。AIは最適化が得意なので、自分がこだわらない部分はかなり手放せるようになると思う。実際、それで楽になることは多いだろう。 ただ、人生全体までAIに運転してもらうと、さすがに何をしているのかわからなくなる。便利ではあるが、主体ではなくなる。だから、ある程度考えること、ある程度判断すること、ある程度自分で言語化することは、効率のためというより、人生の著者であり続けるために必要なのだと思う。 一方で、今の社会が要請している能力のすべてを神聖視する必要もない。長時間座って、淡々と、切れ目なく集中し続けることが本当に人間にとって自然で価値のある能力なのかは、かなり怪しい。必要なのは、長い集中より、短くて濃い集中、深い集中なのではないかと思う。 文明や仕事の都合で強化されてきただけの能力は、AIと一緒に少しずつ手放してよいのかもしれない。 賢さと努力について AI時代に賢さの定義が変わる、とよく言われる。僕は、定義そのものはそこまで変わらない気もしている。賢さは昔からかなり曖昧で、偏差値や学歴だけでは測れなかった。会話や知識の厚みや、ものの見方に滲むものでもある。 変わるのは、賢さの中身というより、賢さの社会的な役割の方だと思う。 昔は力持ちであることが、そのまま仕事や生存に直結していた。今はそうではない。それでも筋力には価値があり、魅力もあり、趣味にもなりうる。同じように、賢さも今後は「生産のための必須能力」から少しずつ外れていくのではないかと思う。 つまり、これまでの知性が生き延びるための知性だったとすれば、これからは自己実現のための知性の比重が上がる。何かを作ること。意味があるかどうかとは別に、作品を生むこと。何かを深く味わうこと。人と関係を結ぶこと。自分が何を望むのかを言葉にすること。そういう方向に、人間の知性がより多く使われるようになるのではないか。 AIはそこもかなり援用してくれるだろう。だが、最後に「自分は何をしたいのか」を引き受けるのは自分である。その姿勢だけは、あまり外部化できない。 だから努力の意味も、僕は本質的には変わらないと思っている。努力とは、ありたい状態に向けて、継続的に自己を変容させることだろう。変わるのは、何のために努力するかである。社会から半ば強制される努力ではなく、自分で選んだ方向に向けた努力の比重が高くなる。 もっとも、これは簡単ではない。AIによって何でもできるようになるほど、逆に何をしたいのかわからない虚無も出てくる。人間は、自由になるほど幸福になる、と単純には言えない。ある程度は強制されている方が楽だった、という結論すらありうる。 それでも、刹那的に消費するだけではなく、何かを選び、そこに向けて積み上げることは、たぶん今後も必要であり続ける。 身体性と教育について AIが非身体的な知性として強くなるほど、人間は自分の身体をもう一度ちゃんと扱う必要がある気がしている。 海に行くとか、山に行くとか、凹凸のある場所を歩くとか、そういう話である。少しオカルティックに聞こえるかもしれないが、別に神秘主義を言いたいわけではない。平坦な道を歩き、空調の効いた部屋で、ディスプレイだけを見て暮らしていると、自分の体がどういう時にどう反応するのか、その感覚がかなり鈍る。 人間が何を快と感じ、何を不快と感じ、何に違和感を持つのか。その感覚の土台は、案外こういう身体的な経験の中にある。効率だけを追う生活は、AIには向いていても、人間には向いていないのかもしれない。 教育について考える時、ここが特に難しい。これから社会に出るまでに五年、十年ある子どもたちに、今の前提のまま何を教えるべきかを決めるのはかなり不透明である。 暗記を減らせばいいのか。読解を重くすべきなのか。感性なのか。スポーツなのか。身体感覚なのか。正直、簡単には決められない。 ただ、少なくとも思うのは、子どもをあまり閉じた世界に置かない方がいいということである。小さい子なら、自然や人や世界との接点を増やしつつ、好きなことへの障壁をなるべく下げること。中高生なら、学校やSNSの閉じた空気だけで世界を判断しないように、本を読んだり、講演を聞いたり、コミュニティに出たり、社会人の話を聞いたりすること。 AI時代だから特別に変わる、というより、もともと大事だったことが、むしろごまかせなくなるのだと思う。 自分の仕事の変化 最後に、これはもう理屈ではなく実感の話である。 僕自身、仕事のやり方はかなり変わった。以前は、一人で考えて、ある程度まとまってから外に出すことが多かった。今はむしろ、AIに問いを返してもらいながら、自分の中にあるものを反射的に出し、出したものをまとめてもらい、そこからさらに考える、というやり方が増えた。 これは、思考をやめたということではない。むしろ逆で、思考の外在化と客体化がずっとやりやすくなった。自分でもまだ掴み切れていない考えを、対話の中で少しずつ掘り出していける。 AIは答えを出す機械というより、思考の鏡とか、壁打ち相手とか、そういう位置づけに近くなっている。 だから、AI時代の脳のデザインというのは、未来の話だけでもない。すでに、働き方の中で始まっている。 僕はAIをかなり自由の方向に働く技術だと思っている。ただ、その自由は放っておくと虚無にもなる。だからこそ、AIに何を任せるかと同じくらい、何を自分で引き受けるかが重要になる。 - 賢くあることより、自分の人生の著者であること。 - 効率よくこなすことより、何を良いと感じるかを育てること。 - 正解を速く出すことより、自分の中の解をちゃんと見つけにいくこと。 AI時代の脳のデザインと言う時、僕が考えているのは、だいたいそういうことである。

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音声入力をデフォルトに寄せる試行(ここ1ヶ月の所感)

ここ1ヶ月ほど、仕事の「入力」をできるだけ音声に寄せる試行をしている。 メモ、思考整理、AIとの対話、企画の叩き台、文章の下書き、作業の段取りづくり……できるところはなるべく声で進める、という方針。 先に結論を書くと、音声→テキストが急に賢くなったからではない。音声入力自体は、僕の感覚では以前から十分実用域だった。 運用を変える気になった主因は、最近のAIが「多少荒い入力」を受けても、こちらの意図を再構成して、整形し、構造化し、必要なら次のアクションにまで落としてくれる局面が増えたことにある。 要するに、入力に求められる“完成度”が変わった。 --- 入力の役割の変化 従来は、入力(=文章化)の時点で人間が構造を作り切る必要があった。 論旨を立て、順序を整え、誤りを潰し、伝わる形にまで整えてから外に出す。キーボードは、その構造化を人間が担うための道具だった。 いまは、入力は素材でよい。 多少の誤変換や言い淀み、話が前後しても、AIが意図を拾って、文章にし、箇条書きにし、論点を分け、タスクに分解し、場合によっては「次に何をするか」まで提案してくる。 人間は、最終的な判断とレビュー、そして「何を/なぜ」を引き受ければよい。 入力を - 「正確に書く(=構造を自分で作る)」 - 「まず吐き出す(=あとでAIが整える)」 に寄せられる。 この“要求水準の変化”が、僕にとっては転換点だった。 --- いまの運用(ざっくり) 僕の中では、だいたい次の流れで回している。 1. 収集 :思いついたことをまず吐き出す(音声で良い。粗くて良い) 2. 整形 :AIに整理させる(論点、前提、選択肢、リスク、次アクション) 3. 定着 :後で再利用できる形に置く(メモ、タスクリスト、文章の骨子、設計の要点など) 4. 評価 :人間がレビューして、進める/捨てる/保留するを決める この“整形→定着”が現実的になったことで、入力が「丁寧に作る工程」から「素材を供給する工程」に寄ってきた感じがある。 --- 個人開発は一事例(抽象度が高い領域ほど効く) この運用は、個人開発だと分かりやすく効く(コンテキストが途切れやすいから)が、それだけの話ではない。 例えば、 - 趣味で事業計画みたいなものを雑に作って、AIに論点整理させる - 記事の構成案を声で投げて、章立てと論旨を作らせる - 音楽の方向性(雰囲気、構成、歌詞のテーマ)を吐き出して、候補を並べさせる - 仕事の打ち合わせ後に要点と次の打ち手をまとめさせる - 「今の自分は何に疲れているか」を言語化して、行動案に落とす こういう、抽象度の高い材料を扱うほど、AIが“整形して使える形にする”価値が出てくる。 作れるかどうか、よりも、 何を作るか/なぜ作るか 、の側に重心が移っていく時代感とも相性がいいと思っている。 --- 音声入力の利得(速度ではなく、身体と注意) 音声入力の利得は、速度というより「身体性」と「注意の配分」にある。 タイピングは、思っている以上に - 姿勢(机に向かって固定される) - 視線(入力結果を追い続ける) - 注意(指先と画面に引っ張られる) を拘束する。 音声入力に寄せると、この拘束が一段ゆるむ。 歩きながらでも進むし、視線も自由になる。今この文章も、部屋の中を歩きながら入力している。 思考対象から意識を逸らしにくい、という意味で、思考の連続性が保たれやすい。これは積み上がると差になる。 僕がやりたいのは、たくさん働くというより、 「集中力や体力を無駄に消耗しない形で、試行回数を増やす」 という方向の最適化に近い。入力の摩擦が減ると、思考の実験回数が増える。これは単純だが強い。 --- 制約(ここはまだ現実の壁) もちろん制約もある。 - 公共空間 :電車は無理。コワーキングやカフェも、気まずさとプライバシーの問題で現状はまだ難しい - 物理環境 :外ではノイズを拾い、品質が落ちる ここは音声認識の問題というより、社会環境とデバイスの問題が大きい。 指向性マイク等を買うかは検討中だが、音声×AIが主戦場になるなら、それを前提にした機材やデバイスが出てくるのも自然なので、いまは少し様子見している部分もある(とはいえ、しびれを切らして買う可能性は普通にある)。 --- 1〜2年の見立て(強さより、接点の設計) 音声認識やノイズ耐性の改善は当然進むとして、僕がより重要だと思っているのは、エージェントの“強さ”そのものより 「人間とエージェントの接点(UI/UX)が整備されること」 だ。 いまは極端になりやすい。 人が細かく操作してAIは補助、か、エージェントに丸投げして人は眺める、か。 現実に欲しいのは中間で、 - AIが何をしようとしているかが分かる - こちらの意図(思想)を注入しながら進められる - 判断の根拠と進捗が見える という「協働の設計」だと思う。 そこが整えば、 「口で指示 → AIが整形/構造化/記録/反映 → 人間は要所だけ判断」 が“手に馴染む標準”になる。 さらにもう少し先の大本命としては、視界側のインターフェース(いわゆるAIグラス的なもの)もある。 表示の品質、重量、情報提示の設計、音声入出力の統合が現実的な水準に揃ってくると、ディスプレイとキーボードに身体が縛られる時間は一段減るはずだ。 --- 最後に 音声入力やエージェントが進化すると、「家でひとりでコツコツ」が有利になる面はあると思う。 ただ、ソーシャルな交流が不要になるかというと、むしろ逆で、作業を短時間で濃く片付けられるようになる分、 - 人と会って話す - 場を共有する - そこから発想を得る といった時間の価値が上がる気もしている。 作業は圧縮して、交流は大事にする。メリハリが取りやすくなる、という見立て。 という感じで、ここ1ヶ月ほど、音声入力をデフォルトに寄せる実験をしている。 おすすめの運用(場所の工夫、機材、アプリ、やり方)があれば、ぜひ教えてほしい。

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